普通の人々に捧げる新しい環境
建築設計事務所Family NYCのドン・ピン・ウォンとバーで語る
- インタビュー: Adam Wray
- 画像提供: Dong-Ping Wong / Family NYC

ドン・ピン・ウォン(Dong-Ping Wong)は、とてもよく質問する。全部に答えが返ってくるとは期待していないと思うが、ただ口先だけの質問ではない。徹底した思考過程の裏返しであり、テーマの輪郭を探るために使われるソクラテス式問答法の一種だ。話しかけているすべての人を積極的に巻き込む、寛大な思考方法なのである。例え相手がインタビュアーであろうとFamily NYCの同僚であろうと。Family NYCはウォンが共同設立した建築事務所で、「環境の設計者」を自認する。私たちがいる場所は、ニューヨークのイーストビレッジにあるパブリック ホテルのロビー バー。仕事帰りの人たちが多くなるにつれ、話題は都市にあるトレンディ ホテルの役割へシフトしていく。
「ここにいる人たちの90%は泊まり客じゃないって保証するよ」。ウォンは言う。「言うなれば、ここは都市に誕生したリビングルームなんだ。ホテルというものを、どれくらい市民の世界へ近づけることができるだろう? コミュニティ センターのような存在まで近づけられるだろうか? はたしてホテルとしての機能は必要だろうか? ここがホテルじゃなくても、これと同じ程度にクールだろうか? それとも、ただの大きなバーって感じになるんだろうか?」
ウォンは、2013年、オアナ・スタネスク(Oana Stanescu)と一緒にFamilyを立ち上げた。ふたりが知り合ったのは、レム・コールハース(Rem Koolhaas)の建築設計事務所OMAのニューヨーク支部だったREX。彼らの作品をバラエティに富んでいると評するのは言葉不足だ。Familyをスタートさせたウォンとスタネスクは数々の仕事をこなしてきたが、その中には、カニエ・ウェスト(Kanye West)の2013年Yeezusツアーで舞台デザイン協力、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)のもっとも重要なコラボレーターとしてOff-Whiteの店舗デザイン、ニューヨークのイーストリバーでの公共プール建築などが含まれている。「+Pool」と名付けられ、巨大な濾過装置の役目も果たすこのプールは、彼らのデザインに対する姿勢がいちばん凝縮された一例かもしれない。つまり、素朴な行為と明確な必要性が出会って、思いもよらない、楽しい、そして有益な何かが作り出されるのだ。
建築家にしては珍しく、Familyは手法にこだわらず、とにかく現実の使いやすさに専念する。洗練された精密さを特徴とする分野で、Familyはナプキンの裏に走り書きしたスケッチが好きなことにもその理念が表れている。「初めて取り掛かるものは醜い。でも、美しいものを作るには、醜いものから始めるしかないんだ」とウォンは説明する。「先ず基本的なアイデアを理解しておくことが大切だ。そこから組み立てていく。洗練にたどり着くのは後になってからだ」
その手法で私たちの会話をスケッチに描いてくれるように、ウォンに頼んだ。その後、カニエ、アレハンドロ・ホドロフスキー(Alejandro Jodorowsky)、ヴァージル、スパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)とのミーティングで描き起こしたスケッチも一緒に送られてきた。「今まで招かれた中で、いちばんいいミーティングだった」とウォンは書いていた。「誰が何を言ったか、いったい何の話なのか、それさえ分からない。間違いなくあれが僕のキャリアのピークだよ」。ウォンとスタネスクそしてFamilyのスタッフは今も登り続ける。


(アダム・レイ)Adam Wray
(ドン・ピン・ウォン)Dong-Ping Wong
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ドン・ピン・ウォン:僕が卒業したカリフォルニア大学バークレー校は環境デザイン校と言われてたんだけど、そういう視点から建築を考えるようになったのは比較的最近なんだ。環境をデザインするけど、必ずしも環境保護という意味ではない。四方の壁でも室温でも鉢植えの数でも、自分のまわりにあるものは全部、自分が作り出す環境だ。環境デザインはそれよりはるかに大きな構成要素を設計するのだから、もっと大きな責任があることに気付いたんだ。育つ環境や生活する環境は、世界をどう捉えるか、何を大切にするか、どれくらいの頻度で友達会うか、健康なのか不健康なのか、そういうことに影響を与えるんだ。
サンディエゴ出身ですね。郊外ですか?
そう。昔ながらの典型的なアメリカ中産階級の地域。僕の家は行き止まりにあったんだ。仲良しの家はみんな、4軒ぐらいしか離れてなかったな。今でも取り立てて特徴のない場所だよ。良いコミュニティではあるけど、どう説明すればいいか、それさえ分からない。
そういう環境で成長したことが、あなたの仕事に影響しているしょうか?
僕たちの建築は誰のためか、それを考える上ですごく大きく影響されてる。つまり、僕たちの建築は、何の変哲もない場所で暮らす人たちのためだ。なんら特別ではない場所、見落とされるような場所のための建築設計っていう考えが、僕は好きなんだ。見過ごされてさえいない、無視されているという感覚さえない、ただそこにある場所。ただ単に、人が暮らしている場所。特別なものも特別じゃないものもない。必ずしもそこの住人たちと僕たちの仕事が響き合う必要はないけど、せめて自分が育った場所に対して僕たちがやることを説明できるようにしたい。デザインに関しては、分かりやすくて、シンプルで、飾り気はないけど親しみやすいものを目指してる。そこから、僕たちの美学、さらには、都市が住人のためにやるべきことのコンセプトが生まれてるんだ。
いつも僕が捉えようとするバイブ、海の中にいるような感覚、それには海が大きく関係してる。どんなプロジェクトでも、表現したい感覚と同じ海の場所を僕は正確に思い描けるんだ。サーフィンするときは、基本的に座って波を待っているよね。でも、必ず波のない瞬間がある。海面は完全に凪いで、どこまでも水平線が広がって、そして理想を言えば誰の姿もないのがいい。朝もやの中で、空と海が混ざり合う。あの瞬間は一種シュールだよ。すごく穏やかだけど、すごく大きな感覚がある。瞑想的だ。後ろには陸があって、漕いだり泳いだりして戻れるのは確かだけど、何も心配せずに、ただ浮いて、何も見ず、どこにも意識の焦点がない。あらゆるプロジェクトで、あの瞬間を表現したいんだ。一瞬でもいいから。僕たちがやることも大抵、最初はすごくフラットな状態から始まるんだ。何度も何度も水平線を描いてるような感覚だな。

どんなプロジェクトでも、表現したい感覚と同じ海の場所を、僕は正確に思い描ける
今、バイブという言葉を使いましたね。
完全にカニエからうつったんだ。建築家は絶対使わない言葉だからね。バイブなんて言葉は長いあいだ口にできなかったし、クールに見せかけてる自分が可笑しかったよ。それが今や、オフィスでいちばん頻繁に飛び交う言葉だ。
プロジェクトに適したバイブを、どうやって見つけるんですか? あるいは、事後的に見つかるものですか?
どんなプロジェクトでも、たとえまだはっきりと定義できてなくても、表現したいバイブがある。バイブという言葉の通り、すごく曖昧なもの。オアナと僕はしょっちゅう喧嘩してるけど、「これだ!」というものが見つかったら、ふたりともおとなしくなる。それがいつ起こるかは分からない。初日に起こることもあれば、最後の最後になることもある。
今までにやったプロジェクトと結び付けて、説明してくれますか?
僕たちが初めて全面的に関わった正式のプロジェクトは、香港にあるOff-Whiteのショップなんだ。入り口にすごくこじんまりしてるけどジャングルがあって、そこに座ると、ほんの一瞬でも香港から切り離された気分になる。最後にヴァージルが付け加えた鳥のサウンドトラックは、天才的な仕上げだったな。葉っぱを打つ水滴の音も聞こえる。そういう要素が全部合わさって、一瞬、香港の喧騒を逃れた感じがするんだ。すごく低俗趣味になる可能性もあるけど、あのショップの場合、そうはならない。人工的であることははっきり分かる。自然だと思わせる気はない。例えば、格子の天井を見れば、作られた産業施設にいることは一目瞭然だし。あのプロジェクトは、僕たちがやりたいと思っていたことを正確に実現したプロジェクトのひとつだよ。
ハイパーな都会の中の小さなオアシス...大衆に提供する公共サービスみたいですね。店舗空間は公共空間だと考えていますか?
うん。あのプロジェクトで本当に満足したのはそこなんだ。店舗を公共空間として捉えることが「できる」ってことが分かって、しかも成功した。Off-Whiteの店舗では、純粋に体が反応するんだ。香港は素晴らしいけど、ニューヨークのいくつかの場所と同じで、消耗する。どこもかしこも商業的で、あらゆるものを売りつけようとしてくる。じゃあ、例え店舗スペースの入口の1/3のスペースであっても、非商業的な区画を作れないものか?って考えた。それまでの僕たちの活動は公共的か文化的な性質のものばかりだったから、商業的でない小空間の構想は自然の成り行きだよ。ありきたりなショップにならなかったのは、なによりより店舗の1/3を使わせてくれたヴァージルの功績だ。

人間の不完全さは、同時にある意味で完璧に思えるよね。そういう人間と同じほどの深さを持ってる空間は、そんなに多くない
ヴァージルは、アイデアにこだわらないこと、アイデアを自分の所有物にしないことを心がけているようですね。
ヴァージルは「楽しい限りやり続けるし、退屈になったら他のことをやる」って言うんだ。まさにそこから、僕たちはたくさんヒントをもらった。とても素晴らしい働き方だ。やることなすこと傑作になるわけじゃないからね。僕たちも「ヴァージルのようにスピーディに仕事ができないか?」って考えた時期があってね、結局無理だったけど、かなりスピードはアップしたな。非常に精密で美しい建築も好きだけど、ひとつの過激なアイデアからスタートしてそこから移行していくプロジェクトもある。そういう考えは、建築的な考え方から解放してくれる。どうしてもっと良いアイデアを誰も思いつかなかったんだ? もし誰か思いついたんなら、どうして実行されてないんだ?ってことによく出くわして、びっくりするよ。
実は数年前、サンディエゴ郊外の再設計事業に声をかけられたんだ。サンディエゴだったのは偶然だけど、「断る理由なんて何もない。ぜひやりたい」と僕は思った。「トゥルーマン・ショー」の舞台みたいな、どこもかしこも変わりばえのしない郊外に真っ向から挑戦するプロジェクトのはずだったからね。だけど、クライアントの狙いは全然違うこと、完全な自立的資源利用だったんだ。どうして誰も郊外を建築的に考え直さないんだろう? もし誰かがやってるとしても、僕は見たことがない。どちらにしても、上手くできたものは見たことがない。あえてデザインされたように見えないものが、僕にはいちばん興味深いプロジェクトなんだけどな。例えば、ショッピング モールにあるフードコートとか。
マクドナルドとか?
それはスゴいプロジェクトになるよ。どんなに小さいレベルでも、実質的に他のどんなプロジェクトよりみんなの生活を変えることになるから。
ああいう場所では、我々が共有している価値観がはっきり出ますね。誰もが利用できて、誰もが利用したいと思う場所でなきゃいけないから。集合体としての私たちをいちばん物語る場所かもしれません。
それに、建築や設計がいまだに美的な観念にとどまってる場所だ。問題を解決したり有益な選択肢を提示するのとは反対にね。プログラム的にも機能的にも、建築がそういう空間の改善を目標にしているとはとても思えない。小ぎれいな場所にはなるかもしれないけど、必ずしも社会的、政治的には改善されていない。
今でもバックミンスター・フラー(Buckminster Fuller)のような人物に関心が向くのは、そのせいだと思います。彼の作品はかなり奇妙な外観だけど、本当のユートピア的な側面がありました。
僕にもあのユートピア的な理想が必要なんだよ! 現代はユートピアニズムが不足してる。かなり危機的な状況だよ。建築的にはサバイバル モードだと思うね。視野の大きいユートピア的なビジョンがあるとは感じられない。建築の意味をどう変えていくか、都市構想がどう建物を変化させて住人に提供しうるか、住民と構築された環境との関係とはどんなものなのか...そういうことを考察するのと反対に、どうせいつかは無くなるんだからって感じで、可能な限り巨大化していくばかりだ。
人類は壊滅的な状況に瀕しています。そういう現実は、持続可能的なだけでなく、+Poolのように実際に環境を改善する作品を希求する点で、あなたの活動にも影響を与えているはずだと思います。あなたはまだ定まらない目標を視野に入れてデザインしているのですか? 「温暖化が進行した40年後の世界で、この家は機能するだろうか?」とか...。
多少はそういうデザインをしているけど、問題は僕が概して楽観主義なことだな。例えばあのプールの場合、どちらかと言うと、40年後には川が完全にきれいになってプールは役立たずになるだろうって考える方なんだ。そうはならないだろうけど、そうなって欲しい。プロジェクトに対する僕たちの考え方がトランプに大きく影響されてるのは、とても面白いよ。僕が楽観的なのは、人間は、誰もが生まれながらに素晴らしい存在だと思ってるせいもある。もちろん、ニュースで目にするような、そうじゃない例外的人物もいるけどね。+Poolで僕が好きなことのひとつは、変人たちにアピールして、そんな人たちが半分裸みたいな格好で泳ぎ回ってるところ。そういうふうに、建築が参加することで、あるがままの人間の美しさが認められる可能性が僕はすごく好きだ。従来なら公共空間やコミュニティ スペースと結びつかなかった場所にそういうものを作ろうとする動きは、去年の11月以来、もっと強くなってると思う。
ホワイトハウスを作り変えるコンペがあったんだよ。もちろん、アイデアとしてだけど。もしやるとしたらどうするか、まったく見当もつかないな。


あえてデザインされたように見えないものが、僕にはいちばん興味深いプロジェクトなんだけどな。例えば、ショッピング モールにあるフードコートとか
今なら、まずは更地にするところから始めないと。
取り壊して、公園にしよう。
チームが作業をしているとき、良くないデザインをやり直そうと考えることがありますか?
それが僕たちの仕事の大部分のような気がする。良いデザインというのは、大抵の場合、ひどいデザインをあまりひどくないものにすることで、必ずしも新しいものにするわけじゃないんだ。建造環境のデザインは間違いなくそうなんだけど、一般的にデザインっていうのは、当初は良い決断に思えるけど、その後それを維持するために誤った決断を招くことが多い。そのプロセスが次から次へ積み重なって、結局馬鹿げたところまで行き着くんだ。要するに、良くないデザインをやり直すということは、そのダメな部分を取り除くことに他ならない。形のうえだけじゃなく、計画的にも、技術的にも、そしてその建築に期待する役割という面でもね。
プロジェクトの計画という観点では、どうすれば新しいアイデアや新しい考え方にオープンであり続けられると思いますか?
似かよったプロジェクトを何度も繰り返さないことが、本当に大切だな。僕らの場合、店舗設計の実績は多くない。だけど、それもすぐに変わるはずだ。何かに経験を積んだら、簡単にお決まりのパターンにはまってしまう。どうやってそれを避けるか? どうやってひとつの場所にとどまらず動き続けるか? カニエはその模範だ。彼のファンや彼を好きな人は、別に、彼の音楽や服や、何であれ彼が作るものを好きだという理由だけで、彼を好きなわけじゃない。刺激を与えてくれる人間だから好きなんだ。何をやっててもいい。どんな業界へ行ったっていい。それでもみんな、彼に関心を持ち続けるよ。ヴァージルも良い例だ。願わくば、僕らの仕事もそうありたいね。「あなたたちが作ったホテルが好きです」とか「あなたたちが設計したショップ、いいですね」じゃなくて、「どんなことをやっても、あなたたちの考え方が好きです」ってね。
あなたのバイブ的条件要素を全部満たしている場所はありますか?
僕はセントラルパークが大好きなんだ。ひとつには、規模の大きさ。完璧に手入れが行き届いた昔ながらの優雅な場所と野性的な場所が、素晴らしく共存してる。地図の上であの長い長方形を見ると、セントラルパークは今でもとても素晴らしいプランニングだと感じる。セントラルパークの中で好きな場所は、いちばん陳腐なツーリストっぽい場所でもあるんだけど、手漕ぎのボートの借りられるあの池。ああいうものにからきし弱いんだ。
ツーリスト向けのものがツーリストっぽいのには、理由がありますよね。
ちゃんと役割を果たすんだよね! スティールの安っぽい手漕ぎのボート。手軽な料金だし、混み合ってることもない。だけど超ロマンティック。長いフランス パンでもかじりたくなる。
ニューヨーク以外では?
これはオアナの領分なんだけど、横取りしちゃおう。ずばり、ポンピドゥ センターの前。大きな石畳の広場だけど、美術館へ向けて傾斜してるから座るのにちょうどいいんだ。もし平らだったら駐車場になってしまうよね。自然に人が集まってくる、そういうちょっとしたことが好きだな。今まで見た中でいちばん好きな建物のひとつは、コルビュジェ(Corbusier)のロンシャンの礼拝堂。一体何なのか、訳が分からないから好きなんだ。先ず、外見が面白いよね。可愛らしいって言えばいいのか、美しいって言えばいいのか...。デザインとしては、まったく意味をなさない。三日三晩幻覚キノコを貪って、ぶっ飛んでるけど同時に素面、そんなときに作ったものみたいだ。あらゆるものがあるべき場所にあるけど、意味を成さない。身振り手振りに近い、すごく直感的なもの。具体的には、光のクオリティが素晴らしい、規模が素晴らしい、眺めが素晴らしい、素朴だけど優れた建材が信じ難いほど素晴らしい。建築という面から最初に記憶に残ったのは、サンディエゴのソーク研究所なんだ。全部の構成要素が美しくまとまって、部分部分の集合を超えたものを作り出してる。本当の魔法って、そういうもんだ。ロンシャンの礼拝堂は、どうしてあの形に建築されたのか、皆目分からない。とんでもなく馬鹿げてるし、ちょっと無様だし。だけど人間の不完全さは、同時にある意味で完璧に思えるよね。そういう人間と同じほどの深さを持ってる空間は、そんなに多くないんだ。恋に落ちるのは、相手がコンピュータ制御のロボット人間じゃないからだよ。非の打ち所がないほど奇妙だから。非の打ち所なく左右非対称だから。人間が作った場所で、ロンシャンの礼拝堂ほど完璧に不完全な場所は、他に思い付かない。

- インタビュー: Adam Wray
- 画像提供: Dong-Ping Wong / Family NYC