ファッション考古学:イヤリング
Unpacking the Historical Jewelry Box
- 文: Rebecca Storm

イヤリングは、私たちが何者かを示す暗号であり、階級や地位に関する曖昧な、時として誤解を招く評価である。顔の左か右へ素早く目をやるだけで、目の前にいる人物の多くが語られる。
だがここで、あえて見かけの判断が助長される危険性を承知した上で、歴史を振り返り、イヤリングに託された象徴の重要性を一考してみようではないか。結局のところ、イヤリングは重みを持ちうるのだ。聴覚器官の突起を飾ることには、広範囲であると同様に豊かで多彩な過去があり、過度に単純化されるべき行為ではない。修飾には必ず何らかのメッセージがある。
最古の身体修飾のひとつであるピアスを、なぜ、そしていつ、人類がやり始めたか。正確な特定は難しい。エジプトの墳墓に始まり、エーゲ海はサントリーニ島の美しいフレスコ画に描かれた青銅、金、銀の輪、メソポタミアのスメール人、ヨーロッパ最古のミイラ「エッツィ」ことアイスマン、日本のアイヌ人、インドのヒンドゥー教徒の子供たち、さらには聖書の描写。歴史を通じて常に遍在するイヤリングであれば、この長ったらしいリストでさえ、不十分としか言いようがない。




子供や奴隷だけがイヤリングを着けた文化もある。一方、イヤリングが富や宗教への誠実を示した文化もある。
ウィリアム・シェイクスピアは、詩人であることを示すために、片耳にイヤリングをしていた。船乗りの場合は、世界中を旅したことがあるとか、少なくとも赤道は越えたことがあることを自慢するために、片方の耳に小さなフープ型のイヤリングを着けた。歴史家によると、船乗りが海で命を落として岸に打ち上げられたとき、まともな埋葬をしてもらうために、膨張した水死体を発見した人に支払うわずかな金銭的代償の意味もあったという。
それから何世紀も経た現在、右耳だけのピアスが何かを暗示する特性は健在である。ただし、今は同性愛者の印として機能している。



20世紀初期のアメリカでは、女性のあいだで耳のピアスが流行ることはほとんどなかった。当時人気だったのは、か弱く上品な白人女性像。慎み深く、だが優雅に着飾る女性のたしなみには、クリップ式やネジ式がふさわしかった。そうすれば「非衛生な」ピアスを避けるという、神経質な欲求も満たされた。



60年代にかけて、女性たちは、この慎重かつ決定的に白人的な自己装飾の新習慣に反撃した。ブラック パワー ムーブメントは、アフリカ中心の装いを採り入れた。自然なヘアスタイル、伝統的な模様、そしてフープ イヤリングを始めとするジュエリー。
これに伴って、当然ピアスの人気は復活し、アフリカン スタイルを誇示するパワフルで優れた有色女性によって、さらに強調された。ダイアナ・ロス、アレサ・フランクリン、アンジェラ・デイヴィスが流行らせた球形の装飾品は、その後、メインストリームの至るところに姿を見せるようになった。サブカルチャーからポップカルチャーへ。いまやお馴染みとなった格上げである。

現代の耳ピアスは、ミニマルなものから、ストレッチ、軟骨ピアスのシールドまで、広範囲に及ぶ。私たちの耳は、単なる受信器官ではなく、メッセージの発信器官でもある。シャンデリア型ドロップ イヤリングも、00ゲージ スペーサーも、同じよう考慮された意図を示す。
単なる装飾、もしくは私たちを抑制する限界をさらに押し広げる方法。構造的に、耳が耐えうる重量には限りがある。結局のところ、耳には、見えない細部を捉え続ける役目があるのだから。



- 文: Rebecca Storm