体験レポート:Pleats Please Issey Miyake モックネック ドレス

失恋と戦う、凶暴だが物憂で、セクシーな装甲ファッション

  • 文: Goth Shakira

一流の人間は、失恋は、決して心から引きはがせないと言うだろう。それはズズズと音を立てながら、巻きひげのように、あらゆるところに入り込んでくる。もちろん、肉体も例外ではない。だからこそ、恋人だと思っていた人に裏切られたあと、私は少なくとも服装面で、以前なら退けていたようなものを、自分が何でも身につけていることに気づいた。前述の失恋の詳細は重要ではない。なぜなら悪とは凡庸なものだからだ。ここで本当に重要なのは、私の服装への影響だ。

私は黒の服を着るようになった。ハイテク生地を使った、ストラップのついたクロップ丈の細身のトップス。ストレスで痩せた体に貼りつくようなロングドレス。凶暴だが物憂げな、セクシー スタイルだ。ネット上では好きで追いかけているのだが、リアルでは絶対に会いたくないと思っているアカウントのひとりからは、「脅迫者のコスチューム」というメッセージを貰った。ゴス系の10代の少年の気分の日や、ストリートウェアを着た性悪女の気分の日には、「私を性的対象として見るな。傷ついてるんだから」というメッセージを発するスタイルとしては、XLサイズのフーディとバギー パンツがあった。私の日記に記録されている通りに翻訳すると、「Corazón solitario vestido de negro(黒を纏った孤独なハート)」である。

ほぼ1年にわたって、トレードマークとして「苦悶」の空気を発散してきたあとで、このPleats Please Issey Miyakeの黒いドレスを頭から被ると、この誰ともお揃いではない自分だけのユニフォームのせいで、錬金術のように不思議な気分が盛り上がってくる気がした。2005年にフォール・アウト・ボーイ(Fall Out Boy)の曲を聴きすぎてしまう『マトリックス』の悲しげなトリニティーというか、地下室にこもっているゴス系ティーンが『アメリカン・サイコ』のパトリック・ベイトマン風のホットヨガの習慣を取り入れるときのスタイルというか。私はこの服の揺るぎない繊細さ、その抑制された美に感心した。我々が生きるデジタルな時空連続体の一部で使われている表現で、「両方着こなせる女を連れて来る」という言い回しがあるが、このドレスはまさに、フォーマルでもカジュアルでも両方いけるタイプだった。

ミロのヴィーナスも震え上がっている

「特許取得のシャープなプリーツ」は、ブランドが言うところの、1本の糸から服の生地を作る技術の最終形態だ。この生地は、商品の仕上がりサイズの3倍の大きさで縫製される。そこで、機械がクレープ生地に山と谷の折り目をつけ、流れるようなプリーツをかけていく。して、その結果は? シワにならず、ドライクリーニングも不要、そしてスーツケースに突っ込んだあとでも、無傷の状態で出てくるという、ほとんど無礼なまでにゴージャスな彫刻のできあがりだ。ミロのヴィーナスも震え上がっている。

ニナ・エドワーズ(Nina Edwards)は『The Paris Review』誌に書いているように、「ファッションにおいて、ダークな装いが退屈になることはほとんどない」。「たとえそれがうまくいかなくても、その目的は、印象を刻みつけることなのだ。エレガンスでも、画一性でも、慎み深さでも、危険な魅力でもいい…それは、私たちが魅力を感じないものを隠し、清潔に洗った顔では決して醸し出せない、ミステリアスな内面をほのめかす」。贅沢な黒の服を着た「善良公」ことブルゴーニュ公フィリップ3世については、「彼は、禁欲的であると同時に邪悪にも見えなければならなかった。その完璧に仕立てられた流行の服は、その色ゆえに自己風刺になっていた」とある。エドワーズはさらに続けて、次のように結論づける。「黒の服はハイファッションでありながら、反ファッションのスタイルでもあるのだ」

非常に高価な日本の服と失恋で思い出すのが、野田香奈子が京都のIssey Miyake旗艦店を訪れ、初めて店内に足を踏み入れたときの描写だ。「玄関には、白地に黒の一文字の入った暖簾が揺れている。三宅一生の『一』をデザインしたショップロゴだ」。数字の1。共依存という、とらえどころのない、愛に飢えたモンスターが私の中に巣食っていたせいで、あまりに長い間、このことに気づかなかった。「一」。複雑に混ざったトラウマ、生まれながらの性格、そしてある人は自由意志と呼ぶものに端を発する、自分で下した数々の「選択」せいで、どれほど私は恋愛に見放されたと感じたことか。この思考回路は死に至るパターンであり、私にはこれを繰り返す感情的余裕はなかった。私は、共生という死の中に、エロティシズムを見つけようと固く決意した。そして、私はプリーツのようになった。機械の正確さで完璧にプレスされていながら、不可解にも、まだ儚さをもつプリーツのように。

しかしまた一方で、傷ついた心は開かれた心でもある。私はこのドレスを持って、アルベルタにいる家族のもとを訪れた。アルベルタは、カナダのテキサスのような所で、人類史上もっともファッション センスの怪しい人たちが高い確率で暮らしている街でもある。皮肉を込めたスタイルとしてではなく、素でGAPのフリースにCostcoのダッド スニーカーを履いた人々を背景に、3Dプリンターで作ったインスタレーションのような、この素晴らしいドレスを着て立つ姿を考えた。これはなかなか「見もの」だろう。このドレスでとても気に入ったのが、これならば、いつ、どんな場所でも、ふさわしい装いになる点だ。さらに最高なのが、彫刻のように作り込まれた、繊細なIssey Miyakeの仕事の確かさに、ばったり出会った知り合いがちゃんと気づいてくれるところだ。他の点でいうと、これも超最高なのだが、このドレスはThe North Faceのジャケットの下からちらりと覗く、極上の鞘にもなってくるところだ。アリア・ショウカット(Alia Shawkat)が、これを「氷の戦士」のドレスと呼んだのも頷ける。仕事のあとに行く、ダウンタウンで青白い光に照らされた隠れ家で、悲嘆にくれる弁護士や人妻に飢えた石油・ガス会社のエンジニアの注意を引かないようにするには、人目につかないことこそ、理想の武器となる。なので、このドレスの繊細さは私にはうってつけだった。「見ろよ、彼女は自分が俺たちより上だと思ってるんだぜ」。友人の友人が、酔っ払って、今夜の私の防御シールドを指して言う。「ちがう」と私は思う。「私はただ悲しいだけ」

月星座が水のエレメントにあるような、勘の鋭い友人のように、このドレスは悲しみにくれる私を支えてくれた。だが、巧妙に作られたハイファッションの服の多くに見られるように、それを着たからといって、私が思い上がったり、別世界の自分に変わったりすることはなかった。当初、私は、このドレスを万能のフーディに対するアンチテーゼ、つまりミレニアル世代にとっての僧侶の世界の永遠のシンボルのようなもの、セラピーやキヌア、セルフヘルプ系ポッドキャスト、ヨガのサバサナのポーズ、ココナッツオイルといったセルフケアの五芒星の頂点にあるようなものだと考えていた。だがそれが違った。このドレスには、ラグジュアリーならではの細部まで行き届いた配慮の中にも、ある種の緩さがあることがわかったのだ。このシルエットは、さりげなく誰が着てもいいようにできており、そこには民主的で、性別にはこだわらない自由さがあった。くしゃっと潰れた折り紙の星と同じで、巷によくいるような不安に駆られた男たちと比べると、拍子抜けするほど好対照だ。この土星人のような強さのおかげで、他人を癒そうとするのではなく、私は安心して自分自身の弱さを限界まで掘り下げていくことができた。

その私の弱さの限界が、カントリーソングのヒット曲に出てくるような故郷のプレーリーの休閑地や、ガラス張りのマンションの間に姿を表す。家族と、移民や世代を超えたトラウマについて、とりわけ重い会話をしたあとで、私は一刻も早くその家の外に出る必要に駆られていた。私は色あせたAmerican Apparelのスウェットパンツの上にこのドレスを着て、大きすぎる母のNew Balanceのスニーカーを履き、ダウンジャケットに片方の腕を通しながら、玄関へ続く階段を降りた。結局、行き着いたのは、私がファースト キスをした郊外の野球場だった。マリファナのジョイントを半分まで一気に吸い込み、一塁ベースまで行くと、ものすごくオシャレな受精卵のように雪の中で丸まり、私は泣いた。そして、このドレスがどこまで耐えられるのか、快楽主義の真価を試すグランドフィナーレとして、私は悪名高きカウボーイズ カジノへ赴いた。そしてSpotifyのキース・アーバン(Keith Urban)のカントリー ラジオを聴きながら、3Pをした。これが冗談だったら良かったのだろうか。私にはわからない。

心がミンチのようにグチャグチャになった数ヶ月後の日記に、私はこう書いている。「この空いたスペースをどうするか、決断すること」。今年のバレンタインデーと去年のバレンタインデーの間に過ぎた時間の中で、私は、以前よりも良いと自分で思える、何か別の存在になった。このIssey Miyakeのプリーツの隙間のように、自分を包むより大きな構造を育くむ方法を私は学んだ。それは、完成前に何かを失ったときの、あるいはただ別のものに変わってしまったときの、慈悲深い喪失感から作り出した神聖な宇宙船だ。鎧の堅牢な部分は私自身であり、変化という痛ましい美を守るのは、私自身なのだ。そして自分の周囲の人の目にも、そうであること納得させなければならないようなときのために、このドレスはある。

Goth Shakiraは、時空連続体のある地点においては、管理人、アクションフィギュア ショップ店員、ブライダル カタログ雑誌モデルをしていた。現在は、エディター兼DJであり、今後も、今まで通り水瓶座であるだろう

  • 文: Goth Shakira