川西遼平のロゴ嫌いとLandlord愛

新進気鋭のLandlordデザイナーのアトリエを訪問する

  • インタビュー: Zoma Crum-Tesfa
  • 写真: Alessandro Simonetti

川西遼平は、デザイナーとデザイナーがレファレンスとして借用する世界との間には常に断絶があるという考えを受け入れる。「僕にとってメンズウェアの大半はファンタジーです。何もかもフェイクなんです」と彼は笑う。鳥取出身の川西は、もともとアート作品として服を作り始めた。「『ビジネス』とか、メンズウェアだのウィメンズウェアだのということは、娘が生まれるまで考えてませんでした。でも、子供ができたら養わないといけないですから」

ブルックリンにあるアメリカ陸軍の支給品を製造する縫製工場を拠点に、川西はLandlordを設立した。だがこのブランドは戦闘服には程遠い、キャロライナブルーのファーや目の覚めるようなオレンジのチノパンツ、「Jerk Chicken(ジャーク チキン)」という言葉が編み込まれたセーターなどを作っている。ワークウェアのシルエットが、計算された実験的作品の土台として機能しているのだ。「リョウと僕は、コンセプトと服の見方に関していえば、かなりの変人ですよ」と、頻繁に川西とコラボレーションを行なっているスタイリストのアキーム・スミスは話す。「普通に見せようとすることが、むしろ大変です」

写真家アレサンドロ・シモネッティ(Alessandro Simonetti)が川西遼平のスタジオを訪れ、川西が、ゾーマ・クルム-テスファ(Zoma Crum-Tesfa)とスタイルと皮肉の境界について話した。

モデル着用アイテム:パーカー(Landlord). 冒頭の画像:モデル (右):ジャケット(Landlord)

画像のアイテム:パーカー(Landlord)

ゾーマ・クルム-テスファ(Zoma Crum-Tesfa)

川西遼平

ゾーマ・クルム-テスファ:日本の田舎で育つというのはどのような感じでしたか。

川西遼平:僕の故郷がどれくらい人里離れていて田舎か、想像つかないと思いますよ。父は建設業で母は社会福祉関係でしたが、ほとんどの鳥取県民はコメ農家です。外国文化などまったく入ってきません。放課後、たまに本屋に行きましたが、そこで売ってる雑誌はどれも東京や他の日本の都市についてのものばかりでしたね。鳥取でも周りではストリートウェアがすごく流行ってました。その背景を理解したくて、アメリカのヒップホップやスケート文化にもさらに興味をもち始めました。それからロンドンに行きました。

このようにストリートウェアに対して関心をもちながら、なぜ最初にアメリカではなくロンドンへ行こうと思ったのですか。

イギリスのフェティッシュの文化にすごく興味があったんです!日本にもありますが、イギリスの方が濃かったですね。今はセックスとドラッグ関係のショップの方が主流ですが、パンク カルチャーの前はフェティッシュ カルチャーが全盛でした。雑誌でTorture Gardenというフェティッシュ クラブ パーティーが大体的に記事で取り上げられていたのを覚えてます。初めて「この世界はどれだけ狂ってるんだ!?」となった瞬間でしたね。

モデル着用アイテム:ジャケット(Landlord)

サブカルチャーの美学がこれほど私たちの感情に訴える理由は何でしょうか。

すでに確立したサブカルチャーからある要素を借用して取り入れるという日本の慣例は、 第二次世界大戦後の連合国軍による占領の歴史に深く関わっています。日本の都会的な要素は、戦争で完全に消滅してしまった。戦後初めてショップが立ち並んだのは、原宿なんですが、この辺りはアメリカ兵が住んでいた界隈です。兵士たちはアメリカから色々と持ち込んでいて、例えば、Tシャツやジーンズなどは、日本人にとって未知のものでした。例えば、スカジャンひとつとっても、形はすべてアメリカ軍によって作られたものでしたが、刺繍はすべて日本の技術を用いて作られていました。今なおストリートウェアの歴史に深く結びついているからこそ、原宿が研究され始めたのです。ストリートウェアはここで作られたと言っても過言ではないですから。

あなたの今日の仕事は、この歴史的遺産の影響を受けていますか。

なんとも言えません。 Landlordの展開の仕方の80%は有機的に起きています。僕がビジネスパートナーにパーティーで出会ったのも、まだ学生の頃でしたし。スタジオに来るように言われ、そこで一緒に何ができるかについて話しました。僕のスタジオは今、アメリカ陸軍に支給される服を製造している工場内にあるので、参考にできるすばらしいパターンがすべて手元にあります。そして、それが僕たちのデザインにうまく溶け込んでいます。彼がたまたまスタジオの大家(landlord)だったこともあり、この名前になりました。でも僕たちが借用するのは、ミリタリーよりむしろワークウェア、それもヘビーデューティーなワークウェアが多いです。

すでに確立したサブカルチャーからある要素を借用して取り入れるという日本の慣例は、 第二次世界大戦後の連合国による占領の歴史に深く関わっています

必ずしもイデオロギー的に共感しているわけではない様々な要素を、過去から借用してくることは、一般的にどの程度あると思いますか。

僕の解釈では、文化とは、外部の勢力に対するたくさんの個人の反応と情熱との組み合わさった結果です。人々が社会や政府によってある種の圧力にさらされた結果、たとえばレゲエやパンクが誕生しました。今のファッションでは、既製服との関係がそれに当たります。人は様々な場所の慣例を借用し、これを視覚的なコミュニケーションに変化させることで、スタイルとして用いています。ファッションはあまりにスピーディーになってしまい、もはや検討したりやコンセプトに割ける時間はありません。なので、人々の関心はただ何が売れるかに集まっています。これってかなり皮肉なことです。ただカッコよく見えるからあれやこれや着るけれど、そこには根本的に意味などない。こういった考え方を、僕は受け入れようとも、拒否しようとも思いません。単に、今は、これが文化として優勢なんだ、と見ているだけです。ファッションは社会を映し出すものなので、新しいファッションは常に若者文化に密接しています。だから僕の服で中心となるコンセプトは、世の中を映し出す鏡となり、新しい世代の人々に何が起きているのか考えることです。

デザイナーのあなたから見て、ワークウェアのどういう点が、しっくりくるのでしょうか。

メンズウェアの大半はファンタジーです。デザインの側から言えば、デザイナーが服やコレクションの土台としているものは、往々にして自分自身からは程遠いものです。だから公開される仕事の大部分については、その背後にデザイナーの実体験などありません。もしスーツをデザインしたくても、僕はウォール街で働いたことなんて一度もない。そういう場合、どうするか。僕なら、どのような機能が服を着る人にとって重要なのかを考えるでしょう。服の機能性については、ごく稀にしか配慮されません。たとえば、新しいiPhoneが登場すると、デザイナーはポケットのサイズを大きくしてもいいわけですが、それは実際は非常にテクニカルなことなんです。ウォークウェアでは、すべての服にとても明確な用途があり、それを着る身体のために作られるんです。

あなたの服にはあまりロゴが出てこないことに気づいたのですが。

ロゴが嫌いなんで!

ガンジャ ユニバーシティの紋章を除いてですね。

実は、ガンジャ大学ってこの世に実際に存在するんですよ!インドにガンジャという街があって、そこに大学があるんです。大学でオリジナルTシャツが作られて、80年代にボブ・マーリーがそれを着てました。僕はそのビンテージ物をヨーロッパの店で見つけました。ロゴなしでストリートウェアをやるのはかなり難しいですが、やりがいがあります。

そうでしょうね。特に、ストリートウェアやスケートボードのアイテムは、高度にブランド化されていますから。その点については、どのようにバランスをとっているのですか?

正直に言えば、目下、ロゴを作らなければというプレッシャーは感じています。僕個人としては、自分のやっていることが画一化されるので、ロゴは好きじゃないんです。でもシルエットから読み取るよりも、グラフィックを視覚的に理解する方がずっと速い。ただ時々、これは服にとって良いことではないなと感じます。ロゴを見てしまうと、それ以上製品を見ませんから。ロゴは他のブランドではデフォルトになっていますが、それはロゴを使うと簡単だからですよ。ロゴが自分は何者なのかというメッセージを伝えてくれますから。

2018年の春夏コレクションを見ていたのですが、パターンや色使いがすごくグラフィックですね。

ええ、ニットウェアで作ったんです。プリントじゃなくて。グラフィックを用いましたが、グラフィックが服に組み込まれるようにしました。僕は大学でニットウェア専攻だったので、ニットウェアで何ができるかを理解していると自負してます。

先ほど、既製服のあり方からインスピレーションを受けていると話しておられましたね。それはどのように作品に現れるのでしょうか。

僕はいつもLandlordはストリートウェアだと言ってるんですが、実は、それほどストリートウェアではないんですよね。むしろ、僕の制作プロセスが、ストリートウェアのデザインの制作プロセスに結びついるということです。これは、僕にとっては既製品のコンセプトそのものです。オリジナルのアイデアをパクってくるわけです。言葉を変えたり、グラフィックを変えたり、シンボルを少し変えたりする。そして次にはもう製品を売っています。僕はその既製服のコンテクストの中で遊んでいるわけです。多くのデザイナーやっているのは、アーカイブのアイテムを集め、パターンを起こして、シルエットや生地や仕立てにちょっと変化を加え、それを新しい服として売ることです。これがファッション業界で起きていることなんです。このことについて正面から話す人はあまりいませんが。これって、アーティストがストリートで何かを拾って来て、ギャラリーで自分の作品として展示するのと同じことですよ。ここで起きているのは既製品の世界で起きていることなんです。僕の場合、まさにこのやり方です。パターンのカッティングもしませんし、デッサンもしませんから。僕のデザインの大半はリサーチ段階で行われています。

ロゴを見てしまうと、それ以上製品を見ませんから

このアプローチはメンズウェア特有のものだと思いますか?

みんなメンズウェアを、ただのスタイルとして見ているので、もはやその背後に真の意味なんてありませんからね。たとえば僕の父が工事現場で働いているとして、作業服の専門店で買った服が着心地がとてもいいので、家でもいつもそれを着ているとしましょう。ですが、作業服をワークウェアとしてファッションに持ち込む場合、これはただの美的スタイルのひとつでしかありません。デザイナーで建設業で働いたことのある人なんてほとんどいないでしょう。僕は軍で働いたことは一度もありませんが、それでもミリタリーを土台にした服を作っています。ハイファッションには、もはやリサーチをする時間などないんです。デザイナーが土台にするものはあまりに遠く、実体験から生じるものではありません。何もかもフェイクなんです。これこそが、メンズウェアで最も皮肉で面白いところだと思います。矛盾そのものです。

モデル (左): ジャケット(Landlord)

モデル着用アイテム:ジャケット(Landlord)

何かを借用する際、どのようにして悲観的になるのを避けていますか。

その点が、Landlordのコンセプトを深めたり、Landlordとは何なのかという意味を作り上げたりする際に、最大のモチベーションになっています。

モデル着用アイテム:ジャケット(Landlord)

デザインが一般的に「より良い」形への進歩だとすれば、ファッションの領分とは何でしょうか?

僕は消費者が求めるものを中心におくことで、かなり強烈なアイデアが作れると考えています。だからメンズウェアで言えば、どれくらい自分のエゴを出すべきかについて、僕はいつも自分の中で折り合いをつけています。僕がファッションの楽しい側面を追求するなら、もっとクレイジーな形を作った方がいいはずです。でも、人々が実際にストリートで着たい服という点から見ると、誰もそんなものは求めていない。なので、デザイナーとして、僕は常に自分のエゴを抑えているんです。自分をどれくらい出すべきかについては、すごく考えますね。エゴを出して良いデザインには繋がることなんてありませんから。

  • インタビュー: Zoma Crum-Tesfa
  • 写真: Alessandro Simonetti